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メラビアンの法則

 「メラビアンの法則」と言つても、何のことかわかるひとはあまりゐないかも知れない。ましてや、正確に理解してゐる人はごくごく少数派だらう。

 アメリカの心理学者アルバート・メラビアン(Albert Mehrabian)が唱へたとされてゐる説で、要するに人と話をしてゐる時に、「メッセージの意味の93%は非言語コミュニケーションによつて伝達される」、つまりコミュニケーションでは「言葉は7%しか役目を果たしてゐない」とするものである。

 もちろん、メラビアンはそんなことは言つてゐないのだが、アメリカはもとより世界中で誤解が広がり、今やとんでもないことになつてゐるらしい。

 メラビアンの研究が1971年(40年以上も前だ!)に明らかにしたのは、「どちらの意味にもとれる言葉を発した場合には、声の調子や態度が大きな役割を果たす」といふことで、例えば、「まだ怒つてるの?」と聞かれて、「いや、怒つてない!!!」と腕組みをして怒鳴るやうな口調で言つたら、それは言葉とは裏腹の意味になるといふことで、つまりは誰にでもわかるごく当たり前の研究結果だつたのである。

 極めて限定的な状況の場合に、言語よりも非言語の部分が大きな役割を果たすことがあることを示しただけなのに、「どんな場合でも、言葉よりも、言葉以外の部分が97%の意味を伝へてゐる」と解されて、最近ではさらに増幅された誤解も堂々と唱へられてゐるやうだ。
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作家の手紙

 学生時代、よく作家などの書翰集を趣味のやうに読んでゐた時期があつた。

 もともと伝記が好きなので、そこから日記や手紙にも手が伸びたのである。ただ、よく言はれるやうに、作家の日記といふのは永井荷風の『断腸亭日乗』のやうに公表を前提に書いてゐるものでなくとも、嘘が多くて到底真剣には付き合つてゐられないものだが、手紙はその時その時の心情が素直に、時に熱つぽく表現されてゐて、胸を打たれることが多い。

 取り分け、作家の手紙には作品を理解するための劃期的な情報が潜んでゐることも珍しくない。

 ゴッホの手紙を読んでしまふと、もうそれ以前の目でゴッホの絵を見ることはできなくなる。

 昔はよく日本でも読まれてゐて、翻訳も新潮社や岩波の文庫本にさへなつてゐたキャサリン・マンスフィールドは夫である作家のジョン・ミドルトン・マリーに宛てて厖大な手紙を書き送つてゐるが、彼女の書翰集も小説を理解するためには重要不可欠な情報をふんだんに提供してくれる。

 画家や詩人・小説家の周辺をしつかり押さへておくことは、作品への理解が深まるといつた次元に留まらず、予想外の別の視点を与へてくれることも珍しくない。

 書翰集を武器にすると、世間で理解されてゐる姿とはまつたく違ふ「眞の姿」が現はれてきて、結果的には斬新な解釈が可能になることもある。

 丹念に手紙を読んでゆき、「あの詩のあの言葉は、奥にさういふ想ひがこめられてゐたのか」と自分で発見できた時の面白さは格別だらう。

 これは素人にも可能な、繪畫や詩・小説の新しい楽しみ方である。

元素の周期表

 元素を原子量の順に並べていくと、似たやうな性質を示す元素が周期的にあらはれる。その周期性が8番目ごとに見られるので「オクターブの法則」といふのださうだ。

 元素の周期表といへば、ロシアのメンデレーエフがその代名詞(?)といふよりは「元祖」だが、有名なのは、その周期表にある「空欄」の部分に、やがて発見される元素の性質まで推測して、その推測通りの元素が後年に発見されたことだらう。

 とりわけ有名なのは、「シリコンの次に来る」といふ意味で「エカ・シリコン」とメンデレーエフが名づけた元素で、これが現在の「ゲルマニウム」。ドイツ人が発見して、「ゲルマニウム」と名づけたやうだから、日本人が発見してゐれば、ニッポニウムとかジャポニウムになつてゐたのだらうか。

 元素の周期表が氣になつて、書店に行くと、随分とカラフルな本が何冊も出てゐて驚いた。その一冊をほとんど買ひかけたのだが、117番目と118番目が空欄になつてゐるので、本の発行年を見ると「2013年」で古いわけではなかつた。

 正式名が決定してゐないにしても、「空欄」はをかしいと、素人判断ながら、一氣に信頼が失はれて、買ふのはもう少し調べてからにしようと購入を見送つた。

 

ディクテとコント・ランデュ

 フランスに詳しい人なら知つてゐるだらうが、ディクテは英語のdictation、つまり書き取りである。

 フランスの小学校では、フランス語を耳で聞いて、それを精確に書き写す訓練を徹底的に行なふ。

 簡単なことのやうだが、この訓練(と試験)をクリアするには、単語力はもちろんのこと、きちんと文法が身についてゐなけれならない。

 動詞や形容詞の活用変化が分からなければ、発音だけ聞いて書き取ることはできないのである。英語と違つてフランス語の変化は激しい。英語のやうに単純ではない。

 日本語の場合は、漢字がきちんと書けるかどうかが問題になるが、文法力まで試すことはできない。

 「書き取り」とひとことで言つても、実体といふか内容は言語によつて大きく違ふことになる。

 フランスではさらに上級のリセー(中等学校)になると、「コント・ランデュ」(compte-rendu)を行なう。

 中等学校とはいつても、バカロレアに合格するための教育機関のやうなものなのだが、その教育の中に取り入れられてゐるくらゐだから重視されてゐることになる。

 何をするのかといふと、講義などを聴いて、その講義で「使はれてゐない言葉を用ゐて内容を要約する」のである。

 「要約」といふのは「感想文」などといふ百害あつて一利なしの課題とは次元の違ふ高度な作業で、総合的な国語力を養成できるのだが、日本では大学入試の「小論文」に形ばかりの取り入れ方をされてゐる程度で、その重要性については認識されてゐるとは言ひ難い。

 「コント・ランデュ」で鍛へられてゐるフランス人は、大学の講義などでもその教育成果をいかんなく発揮して、講義内容をみごとにノートにまとめてゐる。

 この訓練を通して、人の話をきちんと聞いて理解し、それを自分の言葉で表現する力(=ものを考へる力につながる)を伸ばしてゐるのである。

 研修期間にある新入社員の教育にも活用できないものかと考へてゐるが、これは中学生から高校生の間に行なつてこそ威力を発揮する教育だらう。

 

「うさんくさい」といふ感覚

 政策でも、営業方針でも、あまりにも理路整然としてゐたり、あるいはもつと日常的なことで言へば、家電などの新製品でも、文句のつけやうがないほど劃期的に見えたりすると、天の邪鬼の所為か「ちよつと待てよ」と警戒してしまふ。

 ひと頃、内田樹の著書をまとめて読んでゐたことがあるのだが、たしか『街場の現代思想』に、大学生が講義で身につけなければならないのは、「なんだかまるで分からないけれど、凄そうなもの」と「言っていることは整合的なんだけれど、うさんくさいもの」を「直感的に識別する前-知性的な能力」であるといふやうなことが書かれてゐたと思ふ。

 「直感的」は「直観的」にしたいところだが、いづれにせよ、「頭だけの理解」に惑はされないセンスは、知識を修得するだけでは身につかないだらう。

 これは一種の「バランス感覚」であり、「総合的な判断力」と言つても良いのではないかと思ふ。学問とか研究といふことでいへば、狭い専門分野の壁を超えた異分野の世界にも目を向けて、視野を広めることが第一歩だらう。

 あまりにも思考回路が専門分野に限定されてしまつて、かへつて素人の常識で分かることすら、気づけなくなつて、近視眼的発想・理解の世界に埋没してゐる専門家は、極端なやうだが、現実にはあまり珍しくない。

 アカデミックな教育研究の世界にゐる若い人たちは、中途半端なイニシエーションを受けて専門家の道を進んでゐるうちに、常識も失ひ、直観的判断力も身につかなかったといふことにならないやうに研鑽を積んでもらいたい。

 内田樹にかんしていふと、最近はもう「卒業」してしまつて、読む気にはなれなくなつた。

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