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阿辻 哲次『漢字再入門』(中公新書)(5)

 『筆順の手びき』には「本書のねらい」に明記されてゐる。

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 もちろん、本書に示される筆順は、学習指導上に混乱を来さないようにとの配慮から定められたものであって、そのことは、ここに取り上げなかった筆順についても、これを誤りとするものでもなく、また否定しようとするものでもない。

とも書かれています。(中略)ここに示されているのだけが唯一の正しいものではなく、それ以外の書き方で書いてもまちがいではない、とはっきり書かれているのです。
 そのことはさらに、最後にある「本書使用上の留意点」というところにあげられている「本書の使用に当たって留意してほしいいくつかの事項」の最初に、

1. 本書に取り上げた筆順は、学習指導上の観点から、一つの文字については一つの形に統一されているが、このことは本書に掲げられた以外の筆順で、従来行われてきたものを誤りとするものではない。

と別の箇所でも明確に述べられています。
 このように、この本が筆順に関する唯一の基準ではないと『手びき』はちゃんとことわっているのですが、しかしこの記述は実際にはほとんど無視され、『手びき』とちがう筆順はまちがいとされてきました。学校教育の現場では、この本のほかに筆順のよりどころとすべきものがなかった、というのがその理由です。(100-101)
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 假名遣ひの問題については、またいづれ書くこともあるかもしれない。

 漢字の基本的な性質と筆順について、以上のやうな最低限の知識を常識として誰もが辨(わきま)へて置かなければならない。とくに学校の教師は文科省の指示としてもきちんと諒解してしておく必要がある。

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阿辻 哲次『漢字再入門』(中公新書)(4)

 ここまで話が進んでしまつたので、ついでに「漢字の筆順」についても。

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「4時間目 筆順について」

 日本の漢字教育関係者はあまりご存じないようですが、中国の学校で教えられる筆順では、「右」も「左」もどちらも《一》を書いてから次に《ノ》を書くとされています。(中略)筆順は道具によっても当然変わってきます。毛筆で紙に書く場合と、鉄のノミで岩石に文字を刻む場合では、同じ漢字を書くのでも同じ筆順であるほうが不思議です。(中略)少なくとも筆順は、テストで知識をためし、マルやバツの対象にされるようなものではないと私は考えます。(97)
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 筆順のガイドラインが作成されたのは、古く「当用漢字」の時代に遡る。

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当用漢字として規範的な地位をあたえられた漢字について、書き方に不統一な点があることはやはり問題で、特に教育現場が混乱しているという声があちらこちらから文部省に寄せられたので、それにこたえて作られたのが『筆順指導の手びき』でした。
 この本では当時の義務教育で教えられていた八八一種類の漢字(一九四八年二月に定められた「当用漢字別表」に収められている漢字)のすべてについて、ただ一種類だけの筆順が示されています。このような名前の本が「文部省初等中等教育局初等教育課編」という名前で出版されました。
 この本のはじめにある「本書のねらい」という部分には、

漢字の筆順の現状についてみると、書家の間において行われているものについても、通俗的に一般社会に行われているものについても、同一文字に2種あるいは3種の筆順が行われている。特に楷書体の筆順について問題が多い。
 このような現状から見て、今後教育における漢字指導の能率を高め、児童生徒が混乱なく漢字を習得するのに便ならしめるために、教育漢字についての筆順を、出来るだけ統一する目的を以て本書を作成した。

と書かれています。(中略)多くの人はそれが文部省が公式に定めた、ひいては政府が公認した唯一の正しい筆順であると認識しました。そしてそこに示された筆順が、それ以後に刊行された多くの辞書や参考書などに「正しい筆順を示すもの」という位置づけで転載されました。これがいまでも筆順に関する唯一の「基準」となっています。(99-100)
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(つづく)

阿辻 哲次『漢字再入門』(中公新書)(3)

 漢字の知識がない一部の国語教員を惑はせてゐる「明朝体」の成り立ちについて。

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 辞書も含めて、単行本であれ雑誌であれ、いまの日本の一般的な書物は基本的に「明朝体」という書体で印刷されています。そしてその明朝体では、《木》ヘンの下部がはねられていないのに対して、《手》ヘンでは下がはねられています。それで日本の辞書では《木》ヘンと《手》ヘンにはねとちがいが生じるわけです。しかしそれは単なるデザイン上のちがいであって、文字の本質にかかわることではありません。

 漢字教育における根本的な欠陥と私には感じられるのですが、「はねる・はねない」とか、「交わる・交わらない」など、非常に細かい差違にこだわる先生方は、「常用漢字表」に述べられている「デザイン差」に関する記述をきっとご覧になったことがないのだろうと思います。実はここまで書いてきたことは、ほとんどが「常用漢字表」に載せられている「デザイン差」に関する記述に述べられていて、それを一読すれば簡単にわかることばかりなのです。(68)
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 きちんと「常用漢字表」を読めば、変な誤解をするはずもないのである。

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 その「常用漢字表」の最後に「デザイン差」に関する説明がついていて、「常用漢字表」(平成二十二年内閣告示第二号)の「(付) 字体についての解説」「第1 明朝体活字のデザインについて」には、次のように述べられています。

常用漢字表では,個々の漢字の字体(文字の骨組み)を,明朝体活字のうちの一種を例に用いて示した。現在,一般に使用されている各種の明朝体活字(写真植字を含む。)には,同じ字でありながら,微細なところで形の相違の見られるものがある。しかし,それらの相違は,いずれも活字設計上の表現の差,すなわち,デザインの違いに属する事柄であって,字体の違いではないと考えられるものである。つまり,それらの相違は,字体の上からは全く問題にする必要のないものである。以下,分類して例を示す。

(中略)要するに、印刷されている明朝体だけにかぎっても、一見したところちがった形に見えるものがあるが、それは単にデザインのちがいであって、同じ文字であると判断しなければならない、ということです。そしてさらに、活字印刷の範囲だけでなく、印刷字形と手書き字形のあいだについても、「第2 明朝体活字と筆写の楷書との関係について」で、次のように述べています。

常用漢字表では,個々の漢字の字体(文字の骨組み)を,明朝体活字のうちの一種を例に用いて示した。このことは,これによって筆写の楷書における書き方の習慣を改めようとするものではない。字体としては同じであっても,明朝体活字(写真植字を含む。)の形と筆写の楷書の形との間には,いろいろな点で違いがある。それらは,印刷上と手書き上のそれぞれの習慣の相違に基づく表現の差と見るべきものである。
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(つづく)

阿辻 哲次『漢字再入門』(中公新書)(2)

 次に、「《木》ヘンや《手》ヘンははねてもとめてもかまわない」といふセクション。

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 しかし「校」や「松」、「横」などに使われている《木》ヘンの下の部分は、はねてもはねなくても、どちらも《木》に関係することを表す要素であって、「はねる・はねない」によって別の漢字になるわけではありません。《木》ヘンだけでなく、「打」や「投」にある《手》ヘンも同じことで、これらのヘンの下をはねて書こうがとめて書こうが、他の漢字にまちがわれることは絶対にありません。(50)

 漢字の筆画で「はねる・はねない」などにこだわる先生は、「厳しく指導している」のでもなんでもなくて、どのように書くのが正しいのか自信をもって指導できないから、単に辞書や教科書の通りでないと正解にできないだけのことなのです。つまり正解か誤答かを判断する論拠として、教科書や辞書に印刷されている字形しか頼れないというのが実情ですが、しかし先生方の多くは、その教科書や辞書で印刷されている形が、どこでどのように定められ、またこれまでどのように変化してきたかなどについては、まったく考えようとはしません。(51)
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(つづく)

阿辻 哲次『漢字再入門』(中公新書)(1)

 歴史的假名遣ひと正漢字を守る立場から、時々は繰り返し主張したり、啓蒙に努めたりしなければならないことがある。

 「うなづく」でも「うなずく」でもどちらでも良いとする昭和61年7月1日発令の「内閣告示及び内閣訓令」の内容もその一つだ。

 主に文部科学省と文化庁のホームページなどを紹介しながら、その問題点を取り上げようと思つてゐたら、手ごろな啓蒙書があつた。それが阿辻 哲次『漢字再入門』(中公新書)である。

 「2時間目 とめ・はね・はらい、って、そんなに大事なの?」(43-)といふ「章」から「少しのちがいで大きなちがいが生じる漢字」(48-)について。

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「はねる・はねない」、あるいはそれと同じようによく問題にされる「交わる・交わらない」とか「出る・出ない」などについて考えるさいに、あらかじめ大前提として知っておくべきことがひとつあります。それは漢字のなかには、形が非常によくに似ているけれども、微妙なところでちがっているものがあるという事実です。
 誰にもおなじみの漢字ですが、《大》と《犬》と《太》とか、《水》と《氷》、あるいは《王》と《玉》では、点をつけるかつけないか、つけるとしたらどこにつけるか、点の有無と位置によってまったく別の漢字になります。また、《大》と《丈》では二画目と三画目、《上》と《土》では一画目と二画目が交わっているかいないかによって、ちがう漢字になります。さらにその《土》で下の横線を上より短く書けば《土》になりますし、《未》と《末》も、水平に書かれる二本の線のうちどちらが長いかによって別の漢字になります。「甲子園球場」を「申子園球場」とか「由子園球場」と書いたら、バツをされて当然です。
 常用漢字表には入っていませんが、「于」という漢字があります。「物干しざお」ということばに使う「干」とよく似ていますが、「干」は音読み「カン」、「于」の音読みは「ウ」ですから、「干」と「于」はまったく別の漢字です。だから書き取りの試験で「ものほしざお」を「物于しざお」と書いたら、絶対にまちがいとされますが、この両者のちがいは、縦線の下の部分がはねているかいないかだけです。(中略)《干》を構成要素とする「汗」を「汙」と書いたら、「あせ」という意味の漢字にはなりません。「汗」によく似た「汙」という漢字を日本ではまったく使いませんが、辞書では「汚」の異体字とされています。
 ここにあげた例ではいずれも、字形上のごく小さな差違が字種のちがいに直結していますので、点の有無や位置、筆画が交わるかどうか、どちらが長いか、あるいははねるかはねないかが厳密に区別されなければなりません。(48-50)
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(つづく)

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