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「歴史的假名遣ひ」を守る理由(2)





 歴史的假名遣ひと正字體の漢字をつかふ決心をし、ふつうに自分の文章を書けるやうになるまでに要した期間は四箇月あまりだつた。



 歴史的假名遣ひは「新かな」と違つて本來論理的であるのと、古典などで文語について最低の知識と感覺があるために習得に三箇月もかからなかつた。例へば、「覺える」は文語で「覺ゆ」だから、「覺へる」になるはずないと見当がつく。



 もちろん、あらゆる日本語をすべて正確な歴史的假名遣ひで書くとなると、さう簡単にはゆかないが、ふつう漢字で書く言葉までそのカナ表記を覺える必要はない。



つまり、日本語は「漢字假名交じり文」なのだから、「字音假名遣ひ」は当面の問題としてはあまり気にしなくても良いことになる。さうなると歴史的假名遣ひまでの距離は俄然縮まる。「ゐる」でよく使ひさうなのは「用ゐる」と「率ゐる」くらゐだ。



 漢字については「当用漢字新旧字体表」があるので、覺えるのに二週間とかからなかつた。特に字體の變化が著しいのは、「昼」と「晝」、「尽」と「儘」、「写」と「寫」、「体」と「體」などでたかがしれてゐる。「実」と「實」、「欠」と「?」、「続」と「續」などは半ば見慣れた字體でもあったので大變だとは感じなかつた。むしろ、論理的で美しい本物の日本語を身につけようとしてゐることへの喜びのはうが遙かに大きく、苦痛に思つたことは一瞬たりともなかつた。



 そんな中で、大きな戸惑ひを覺えたのは、一つ一つ漢字の字體を機械的に變更するだけではダメなものがあることに気づいた時だつた。つまり、「台」=「薹」ではすまない類の言葉があることを認識したのである。「仙台」は「仙臺」にするだけでよいが、「台風」は「薹風」にはならず「颱風」である。同様に「回復」は「恢復」、「知恵」は「智慧」であり、單漢字の變換とは別のレベルの改變があったことに気づいたのである。



 これにはしばらくの間、絶望した。結論からいふと、「同音漢字の書き換へ」の一覧表を見つけ出して一件落着となり、それからは二日もかからずに、その書き換へを制覇したのだが、なにしろインターネットはおろか、パソコンもなく、すべて紙媒體で文獻にあたらなければならない時代である。今にして思へばまことに迂闊なことにみえるだらうが、已むを得ないことだつたのだ。




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