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池澤夏樹『雷神帖 エッセー集成2』(みすず書房)(3)

 結局、池澤夏樹は私とつて、過去の一時期を想起させ、同じやうな体験の持ち主であることに親近感を覚えさせてくれるだけで、じつはその「同じやうな体験」にしたところで、当時の学生なら誰でも共有してゐたはずの独自性などない一般的な体験にすぎないから、ことさら価値のある体験にも思へなくなる。

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 『野生の思考』はなかなか戦闘的で、最初から未開の思考の積極的な弁護で始まる。未開人は駐正午を持たないという偏見を軽く否定した上で、植物の命名と分類において未開人が近代人に劣るものではないことを主張し、証明する。ここに言う「未開人」が、近代科学に則った「飼い慣らされた」思考法を身につけていない人という意味であって、それ以上でないのは明らかだ。(156)

 デカルトは恩恵であると同時に呪詛である。『方法序説』は、極度に抽象的な原則の高みまで登ってから普遍の名のもとに降りてくる点において啓示宗教の神学によく似ている。デカルトの哲学は、外のわれわれから見れば、そのままキリスト教の中に納まっているように見える。天地創造から始まって最後の審判に至る直線的な時間軸を前提としている。マルクス主義もこの神学のパラダイムの中にある。(156-57)
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 かういふ一文を読んでも、「そりやさうだらう」と思ふだけで、中身は幼稚な独り言としか聞こえない。

 『雷神帖』は「書物」を軸にした作者の思ひが綴られてゐるのだが、そこで触れられてゐる本を私はまつたく読みたいとか、再読したいとかいふ気持ちにならないのである。

 荒川洋治さんの真似ではないが、本を読んでゐると、そこで話題にされてゐる本が氣になつて、読みたい本、氣になる本がどんどん増殖していくのが常なのに、池澤からはまつたくさういふ刺戟が得られない。

 入手に時間がかかつたが、『風神帖』も『雷神帖』も得るところのないエッセー集だつた。

(完)
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