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辻原 登『熊野でプルーストを読む』(2)

 いちばん感心させられ、考へさせられたのは「『おんなを描く』ということ」。

 日本の「小説」は欧米に範を求めながらも、キリスト教の神の問題、信仰の問題といふ最大のテーマに取り組むことができないまま、作家の個人的な経験に集中するばかりで普遍性を目指さない作品や、社会問題に重きを置くあまり、小説が「言語構築物」であるといふ現実から乖離しすぎて、読むに堪へない凡庸な作品が書かれ続けてきた。

 しかし、日本には日本なりの消化の仕方、発達のさせ方があつたのである。それを、辻原は「おんなを描く」といふことに見てゐる。

 以下は引用。

........................................
 私は日本語で小説を、いわゆるヨーロッパ出来(でき)の近代小説を書く、日本人の小説家ということになっています。なぜこんなことをあらためてことわるかというと、小説の骨髄と中身をつくる重要な養分である絶対者の問題も罪の問題も実存の問題も、苦手、苦手どころか全く身につかない、わからない、それなのに小説を書いているからである。どこか肩身の狭い思い、しっくりこない、そういう感じを抱きつづけている。それらの問題は想像はつく。なぞるぐらいはできるが、切実ではない。それを切実そうにふるまってきたのが、わが近代日本の小説家たちかもしれない。そして、じっさいこの問題は身につかなかった……。
 しかし、それなりに独特の成果はあった、と考えたい。彼らは「おんな」を描いたのだ。
 ひと昔前まで、小説家修業中の青年たちのあいだでは、「おんな」が描けたら一人前だ、というずいぶん乱暴な評価基準が生きていた。おんなというものを描く。これがながらくわが近代小説において、書き手と読者をとらえたことのひとつだった。(85)

(つづく)
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まとめtyaiました【辻原 登『熊野でプルーストを読む』(2)】

 いちばん感心させられ、考へさせられたのは「『おんなを描く』ということ」。 日本の「小説」は欧米に範を求めながらも、キリスト教の神の問題、信仰の問題といふ最大のテーマに...

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